週刊リクニュース

5月1日
英語ができるようになりたい?


マレーシアから帰ってきて、はや半月。

すっかり日常モードに戻った私は、マレーシアにいた時に

猛烈に思っていた「英語ができるようになりたい!」という

目標を冷静に眺めてこう結論づけました。

「英語はあんまり重要じゃない」

おお、なんて時代に逆行した結論なんでしょうか。

小学校でも英語を勉強しようといっているし、英会話のCMには

有名なタレントが器用される勢いで、さらにはインターネット時代

では英語は世界を広げるスキルとなるのに。

こいつはバカだ、と思うでしょう。

まあ、そう思うまえに何故そう思ったのか聞いてください。

日本では
英語が必要な場面がほとんどない。

はい、でましたね。そんなアホな理由があるか!と思いますか?

では、日常生活で英語使う機会ありますか?

マレーシアのようにさまざまな民族が混在している国家なら、

その橋渡しとして英語で

コミュニケーションすることもあるでしょうが、

日本ではほとんど皆無。

それどころか

英語を使う機会を探すのが難しい!

なんせ日本では<ネイティブと英会話で喋る>というのが売りで

高額な授業料をとることができるのです。

ゴールデンタイムに有名タレントを

使ったCM流せる英会話スクールが存在するって

どういうことでしょうか。

ちかくに英語が喋れる人がいるなら、その人から格安で習うでしょ?

普通に考えて、語学学校がそんなに儲かるなんて

おかしな話だと思いませんか?

英語を喋る他の方法といえば、外国人をホームスティさせたり、

外国人と交流するサークルに入ったりといろいろありますが、

日本では
無理矢理英語を使う機会を

自分で作らないと、まず英語を喋る

ことはないのではないかと思います。

ほら、よく日本の学校の英語教育がおかしい!と言われているじゃ

ありませんか。それが改善されないのは、当然なのです。

なぜなら、
砂漠の国で海の泳ぎ方という授業

をするようなもんだからです。

たとえ、それがどんなにデタラメな授業で、先生がカナヅチでも、

近くに海がないので、それで困ることなどないのです。

「おれたち学校で6年水泳習ったみたいだけど、海に行ったら
ぜんぜん泳げないだろうな」

と気がついても、ジョークですんでしまう。

「おまえ、大学も含めて10年も英語勉強したくせに喋れないのかよ!」

といっても、「バーカ、おまえもだろ?」

と同じアホを発見したときのような妙なほのぼの感に包まれて

お終いです。

英語を勉強するのにこれほど不適切な国はないでしょう。

日常的に使いもしないものをマスターするとき、

それは気が遠くなるほどの時間がかかるのです。

私の場合なんですが、そんな思いをして勉強して何に使うかというと、

海外旅行に行くときだけでしょう。

そんな僅かな使用目的のために、歯を食いしばって

勉強する意味があるのか?と思うのです。

さて、環境を言い訳にするのはこれくらいにして置いて、本題に

はいりましょう。

環境が悪いことよりも、

もっとも重要だと思った理由があるのです。





それは、


国際的に通用する人間になりたいなら、

英語が喋れるよりも中身のある

人間になる方が大切なんじゃないか?

ということ。




たとえば、野球でいえばイチロー。

アメリカで活躍していますが、それはイチローが英語が喋れる

からメジャーでやっていけるのではなく、

イチローのバッティングが世界のトップレベルだから

活躍できるのです

英語がペラペラだけど、野球のセンスは最低限と、

英語はまったくダメだけど、野球のセンスは最高峰。

では、
後者が圧倒的に国際的なのです。

たとえ、英語が喋れたとしても、中身のない人間

だったらなんの意味もありません。

先進国のなかでは最低レベルの英語力しかない国、日本。

しかし、世界では日本製の商品は、信頼のブランドとして

通用しています。

それは

大切なのは中身だからなのです!

もしも、世界に出ていくときに

一番大事なのが語学力だったとしたら、英語後進国の

日本人の作った商品はまったく相手にされないでしょう。

だから英語を勉強する時間があるなら、

漠然としていますが、

世界に通用する一流になる勉強をする方がいいのです。

英語が喋れても、信用できない、何もできない人間には

意味がないのです。

昔、契約社員として働いていた会社で外国から先生を招いた

セミナーを受けたことがあるのですが、

その外国人の先生
(8年まえの話なのでなんの先生か忘れました)

が国際的に活躍する条件というのを喋っていました。

いまでも覚えているのですが、それは

「専門知識」「パソコン」「英語」

だったと思います。

そのときは、「へーっ、やっぱり英語なんだねー」

と思っていたのですが、

今は、「順位的には英語が一番最後なんだ」と理解が変わっています。

単身アメリカにわたり、空手を広めたUSA大山カラテの大山先生も

行った当時は英語全然できなかった。

それでも成功したのは、「カラテが死ぬほど強かったから」なのです。

ブルースリーが世界中の若者を熱狂させたのは、英語の発音が

ネイティブ並だったからではなく、「信じがたいほどの動き」を

表現できたからなのです。

トヨタ車が世界で売れているのは、「高品質」だからです。

信用できない奴はいくら日本語ペラペラでも信用できないのです。

私の場合、英語よりもまず先に勉強することが山ほどある!

ということを旅行から帰ってきてから気がついたのです。

だから、日本でよく「これからの国際化社会に向けて」みたいな

話になるとき、「本当の国際的に通用する人材」とは

いったい何かをよく議論する必要があると思います。

それは決して「英語が喋れる」ではないと思うのです。




と、英語を勉強する気が失せることを沢山書きましたが、

「学校で英語を習っていて、成績を上がるために必要」

「英語を勉強すると自分の可能性が広がるようで楽しい」

「海外旅行を英語でかっこよく決めるのが夢」

「日本で成功したので、今度は海外に進出したい」

「将来英語圏に移住する計画がある」

「外資系の会社で昇進するためには英語が必要」

とかいう方が勉強するのは本当に素晴らしいことだとも思います。

ただ漠然と「あー、英語喋れるようになったら人生変わるかも」と

思って勉強するのは、あんまりよくないと思います。

例外はあると思いますが、

日本でダメなら、世界でもダメでしょう、きっと。




むりやり話をまとめると、

「英語の勉強はほどほどに
しといたほうがいいと思った


ということになります。


ああ、長々と書いたわりにはアホみたいな結論ですね。

ええと、生意気こいてすいませんでした。





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