週刊リクニュース

4月9日
東京からクアラルンプール

今から旅行記なんて書こうかと思っているのですが、

デジカメで旅の途中で壊れたので、デジタルの写真は一枚もなし、、、、、

文章のみというスパルタンな更新になりそうです。

ううん、旅の途中、日本語の使えないパソコンで「nihon no minasan」とか

ニセ外国人のような更新をしていたことを思えばマシでしょうか。

さて、一日目、小松空港から羽田に飛び、その日は東京に住んでいるブラザーの

ところにやっかいになることに。

ちなみに、ブラザーとは黒人の方ではなく、私の弟です。

あ、書かなくても判りますよね。なんだろう、最近こういう

寒い系のことが言いたくなる発作がおきます。無視してね。

東京に乗り込んだとき、私の姿はワイシャツ一枚に大きなザックを担いでいる

という季節はずれもはだはだしい姿で、かなり異様でした。

出発の日、石川県に雪が降っていたので、当然といえば当然ですが、

たくさんある荷物をこれ以上増やさないため、あえてジャンバー

の類を着てこなかったのです。東京なら、大丈夫だろう。

きっと暖かいはずさ。という期待は、モノレールから降りた瞬間、

「さ、寒い」という現実のまえに、ああああ、なんかもってくればよかったよー

という後悔に苛まれるはめになったのです。

銀座に用がある弟に、でかい荷物だけ回収してもらってから東京見物としゃれ込む

予定だったので、弟に電話。

「す、すまんけど、寒いからなんか羽織るもの持ってきてくれない?」

と連絡。衣装持ちの弟がいてよかった。銀座で弟のエルグランドにザックを乗せ、

ジャンバーを借りて、東京見物開始。

六本木ヒルズに行き、展望台に昇り、東京の街を眺める。

展望台行きのエレベーターが高速かつ、無音なのに驚きました。

六本木ヒルズの周辺の人たちは、みんなエリートに見えるなー。

ヒルズの中に入るときは、駅の改札口みたいのがあって、IDカードを通さないと

のこのこと入れないようになっていた。

きっと、あそこのIDカードを持っている人は、みんな年収1000万くらい

なんだろうな、これが格差社会か、、、、、となんだか日本の現実が

形になった建物のようで嫌な感じ、私はこそっと記念撮影して立ち去りました。

それから、日本でのアシュタンガヨガの聖地荻窪に行き、クラスに参加。

マヤ先生という方のクラスに出ました。

このお方、インドのマイソールにこの間まで修行に行っていて、私はそのブログを

読んで、先生がいないという事実を知ったのです。

いわば旅の恩人なのです。

この日は新月で、アシュタンガヨガでは激しい練習をしない日です。

座学と、呼吸法、軽く体を動かす程度だったのですが、

いや、マジでためになりました。

最後には、マヤ先生を捕まえて、日頃自分自身でおかしいと感じているポーズを

何個か修正してもらいました。

きてよかった!本当に。

こんなにためになるなら、東京で3日くらい集中的にヨガでもよかったかな?なんて

思ってしまいました。ありがとうございます、マヤ先生。

それから、ブラザーの部屋にヘイヨーとお邪魔して、酒を飲み、飯を食い、

服を借り、洗濯してもらい、布団をひいてもらうという、世話になりっぱなしの

アホなあんちゃんそのままに滞在し、翌朝は6時に部屋を出て、成田へ。

成田エキスプレスに乗り、いよいよ成田空港に入る。

ここらへんから、ドキドキし始めます。

航空券の受付の列にならぶと、マレーシアに帰るであろう華人の集団の

中国語が飛び交い、私のうしろにはインド人みたいな人がいる。

もうここから外国って感じです。

受付の方が、私の前にならんでいたマレー人みたいな女の人と

激しく英語でやりとりしている。

受付の人も外国人だ!と思っていたら、

「お客様、お席は窓側がいいでしょうか、通路側がいいでしょうか?」

と日本語で話しかけられたので、

本当に、

「わっ、びっくりした」と言ってしまった。

それが聞こえた受付の人の眉間に皺がよったが、結局、どうして

びっくりしたのか、というフォローができないまま受付終了。

だって、外国人かと思いこんでいたら、思いっきり日本人でそれで

驚いた、なんて言えないですもの。

無事にチエックインしたあと、マレーシアで行動するときに持っていくサイフと

小さいショルダーバックを買う。両方ともWENGERで統一した。

クレジットカードと銀行のカード、現金、トラベラーズチエックは

分散して入れておく作戦なのです。

空港内の免税店をうろうろしていると、搭乗時間になったので、

マレーシア航空の飛行機に乗る。

スチュワーデスさんが、マレーシアの民族衣装みたいのを着ている。

そして男のスチュワード?さんは、マレー人だ!(たぶん)

おおっ、ここからもうマレーシアだ、、、!

と私の緊張はかなりのものになった。

窓側の席につくと、いろいろなことを考えた。

じつは、私とボルネオ島は因縁があるのです。

石川から出発する当日知ったのですが、私の祖母は戦争でボルネオ島に行っている。

日本軍はボルネオの街を破壊し、住民を虐待し、殺した。

祖父は孫の私には「戦闘はなかった」といっていたが、本当だろうか?

あっても孫には言わない、まさか祖父が侵略した島に遊びに行くことに

なるなんて、、、、、、運命を感じる。これは贖罪の旅なのかもしれない

たとえ、マレーシアで人に騙されたり、傷つけられたりしても

しかたのない。祖父や日本は、それ以上のことを

ボルネオの人にしている、そのつけが周り回って、降ってくるかれしれない。




                2.出国



考え込んでいると、飛行機が加速しだした。

飛行機が飛び立つ瞬間は感動的。

こんな鉄の塊を飛ばそうとした理想家の執念に感動します。

飛行機の加速は、既成概念を吹き飛ばすために加速だ。

無理だ、無理だ、無理だ、飛べない、という無数の人々の嘲りの声を

吹き飛ばす加速だ。

初めて飛行機を作ったライト兄弟は、どれほど人の嘲笑を浴びただろうか、

ライト兄弟の末裔は、こんなに巨大な飛行機を作って飛ばした。

いまにまったく石油燃料に頼らない最高にクリーンな飛行機もできる。

ううん、と感動していると、スチュワーデスさんがジュースを配りだした。

それを飲みながら、飛行機の設備などをチエックしていると、

となりに座っている人の姿が気になった。

服を3枚くらい重ね着して、そのうえにジャケットを羽織っているのです。

この人、マレーシアが気温30度だって知らないのか?

と東京でワイシャツ一枚でうろついていた私を

見る人々の心境がわかった。

席の前にモニターがあるので、いろいろと調べると嬉しいことがわかりました。

映画が見れるのです。

しかも新しいやつが。

私は<イーオンフラッグ>と<ハリーポッターと炎のゴブレッド>を

連続で見ました。かなりお得な気分。

それからは、「地球の歩き方」をみて、出国カードを記入したり、

私の今回の旅のお供「セインカミュのすぐ使える旅の英会話」を読んだりしました。

もうこの頃になると、もうすぐ外国だという思いに手にじっとりと汗をかいて

いました。やたらと喉がかわく。

そういえば、書いていないことが。

機内食です!

よくテレビとかで「フィッシッかビーフか?」と英語で聞かれるって

シーンがあるじゃないですか。

いい匂いが機内に充満するなか、私は自分の番を待ちながら「フイッシュプリーズ」

の練習を何回もした。

で、私の番が来てスチュワーデスさんが聞いたのです。

「お魚とお肉、どちらがいいですか?」

「お、お魚ください」

かなり気合いが抜けました。

機内食はかなりおいしかった!

やるじゃん、マレーシア航空!

そして、6時間半後、クアラルンプール到着。

そして、入国審査。

なにか聞かれたら「サイトシーイング」で滞在日数は「ナインデイズ」

だと、入念の頭のなかでリハーサルしました。ここでつまづくわけには

いかんのですよ!

とマレー人の女の審査官にパスポートと入国カードを提出。

審査官はとなりの審査官と、なにか世間話をしながら私のパスポートに

ハンコをポンを押して、パスポートと入国カードの半券を私に返してきた。

あれええええ?これでお終い?激しい尋問とかはないんですか?

とマゾの人みたいに思ったけど、あっさりと入国審査が終わって良かった。

マレーシアに無事に入国。

さて、さて。

ふふふふふ。

じつはです。

この一日目なんですが、
ホテルの予約が取れないのです。

初めての海外旅行、しかも個人旅行、乏しい英語力なのに、ホテルが

とれていない、というちょっと頭おかしい感じの初日のプラン。

私の人生、けっこうこういうことがあります。

クアラルンプール国際空港は、すごく綺麗な空港。

私はどこか空港のなかに、ホテルの予約をとってくれるところが

あるはずだ、と空港内を歩き回ると、あった!ビジターセンターというところが

あったので、今夜にホテルを予約したいと英語で話す。

イスラム教の女性が、英語で話してくれるのですが、

ぜんぜん理解できない、、、、!

こうなったら、もう顔をよくみて、身振り手振り、わかる単語などの

情報を組み合わせて推理するしかない!

なんとか理解することができたのは、このカウンターを出たところにいる

「ナントカ」さんに会えということ。

私はサンキューと言って、カウンターを後にしました。

この瞬間、私は自分の英語力がまったくお話にならないレベルであることが

身にしみてわかりました。

やばい、マジでやばい。

そう思いながら歩いていると、ダンボールに「りく兄」と書かれたカードを持った

男性がいた、あっ、あの人だ!と「ハロー、マイネームイズ リクアニ」と

自己紹介すると、「ハウアーユー」と挨拶。

この方がホテルに連れて行ってくれるのだろうか、その前に私は両替しないと、

「ナントカ」さんと一緒に両替コーナーに行き、2万円ほどリンギットに両替。

円に比べると、とても小さいサイズのお札だ。

その方は、ホテルのグループの社員のようで、ホテルの予約カウンターまで

つれていってくれました。そこにいた愛想のいいおばちゃんに、

「空港の近くのホテルがいい」というと、「フリー」と言われた。

「フリー?」無料ってことか?などと考えていたら、フル、つまり満室らしい。

もうこの際、どこでもいい、と思った。私の英語力では部屋の交渉は無理。

ここでいいか?と金額を提示されたところにイエスと言った。

クアラルンプールにあるホテルのようだ。

空港から車で1時間、明日の朝の送迎もついて12000円。

ホテルが決まった時点で、もう私はふらふら、頭痛がする。

空港から出ると、すこし元気になった。

外は暖かい!なんか夏の夕方みたいな感じで、おお、マレーシアにきたんだ!

と実感。

送迎は、中国人の李さんがしてくれる。

タクシーの車種はベンツで、エアコンがガンガンにききまくる。

空港から首都のクアラルンプールまでは、渋滞にはまりながら、

私はつたない英語で李さんと会話。

李さんは、マレーシア生まれの華人で、お父さんは仏教徒のシャーマンをして

いたということ。運転席側のパワーウインドーは、高速に乗るときよく使いから、

壊れてしまったとか、あれがイスラム教のテンプルだとか、

話せたけど、さすがに1時間も会話がもたない。

このときはまだ、「ああ、こんな英語で失礼にならないかな?」

「正しい英語を話さないといけない」とかなり硬い感じだった。

ああああ、どうしてもっと勉強しておかなかったんだ、、、、、!と

後悔する車内。

日が暮れ、クアラルンプールのツインタワーが綺麗にライトアップされる。

私のホテルは、チャイナタウンのど真ん中の、なんかだデンジャラスな雰囲気の

場所だった。ホテルのまえには、果物を売った露天がならび、

屋台がのきをつらねる。

ホテルの部屋に荷物を置いてから、夜ゴハンを食べに街に出た。

「ホンモノ、ロレックス!」と時計屋にあんちゃんが声をかけてくる。

歩いていると、確実に日本人だとバレる。

何故だ!荷物は軽装で、一見、中国人のあんちゃんにしか見えないはずなのに。

とよくよく考えれば、私の肌の色が問題のようでした。

つまり、白い!

曇りのおおい北陸にいれば普通でも、赤道近くの国でこんな肌をした

現地人の男がいるはずがない。東洋系の旅行者、ということで

日本人という推理にもとに相手は日本語で話しかけてくるのです。

大正解です。

さて、飯はどこで食べようかと歩いていると、西洋人が何人か食べている

中華の店があったので、私もそこで食べることに。

いかにも現地の人しかいないという店は入りにくかったなー

そこで、蛙の肉の麺料理みたいなものがあったので、注文した。

やってきたのは、見た目思いっきり焼きそばみたいな料理。

入っていた肉は、なんかエビっぽい。

だけど、無事に食べることができた。

帰りにセブンイレブンがあったので、

青島ビールとおつまみを買って部屋に戻る。

もうこの日は、不安でしょうがなかった。

旅行にきたことを確実に後悔していた。

チャイナタウンの雰囲気が、弱った体に堪えたのです。

なんだかここのホテルに受付の女性は、無愛想だし。

テレビをつけると、ブルースリーが演じていたグリーンホーネットという

ドラマの2がやっていた。

主人公の男が、日本人の博士を助けるというシーンがあったのですが、

「大丈夫ですか、博士!」
「私は大丈夫だ、早くここを出よう!」

と日本語で会話しているのに驚いた。

しかも、日本語で会話しているのに、現地語の字幕がでない。

この主人公、マレー人に話しかけるときはマレー語を話すし、

アクションをすると凄い身体能力だ。

何カ国語も操れて、しかも強いなんて、、、、、

なんて凄いんだ、グリーンホーネットと思いながら眠りについた。

こうやって無事にホテルで寝ることができたから、よしとしよう、、、と

思った。



戻る
バックナンバー